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日本の手外科はなぜ遅れている? 手術以外の選択肢と未来への可能性

  • 執筆者の写真: 山田哲生
    山田哲生
  • 2025年9月18日
  • 読了時間: 4分

手術一辺倒の手外科に未来はあるのか? ― 日本と海外の景色の違いから考える


「人工関節しかない」「関節固定しかない」って本当?


手外科の診療現場では、よくこうした説明を耳にします。確かに、関節が壊れて強い痛みを抱える場合、人工関節や関節固定の手術は強力な解決策です。

しかし、それが「唯一の答え」なのでしょうか?私は日々の診療の中で、この疑問を繰り返し感じてきました。


なぜ日本は「手術一辺倒」になりやすいのか?


日本の医療教育は、手術を最終ゴールとする傾向が強いです。外科手技を習得することが医師の成長の証とされ、注射や保存療法は「一時しのぎ」と見なされがちです。

患者さんもまた「本気で治すなら切るしかない」と思い込みがちです。こうして「手外科=手術」という図式が強化され、医師も患者も抜け出しにくい構造ができあがっています。


海外では“近未来”の治療がすでに当たり前?


一歩外に出て海外の学会や論文をのぞくと、驚くことがあります。日本では近未来的に思える治療が、すでに日常的に行われているのです。

  • PRP(多血小板血漿)注射:自分の血液から成分を取り出し、関節や腱に注入して回復を促す再生医療。

  • 幹細胞治療:組織の修復を狙う先端的な注射治療。

  • 超音波ガイド下の低侵襲手技:針一本で関節内や腱の癒着を剥がす。

こうした技術は欧米ではすでに広く行われており、研究や改良も日々進んでいます。もちろん「海外がすべて正しい」というわけではありません。しかし、日本の外に視野を広げると、選択肢は驚くほど多いのです。


どうしてこんな差が生まれるのか?


日本と海外の違いには、いくつかの要因があります。

  • 制度面:保険診療は手術や既存薬を優遇し、新しい治療は評価されにくい。

  • 文化面:失敗を許さない社会風土。新しいことは「慎重に」と言いつつ遅れてしまう。

  • 教育面:外科手術を頂点とみなす教育体系。保存療法や再生医療は軽視されやすい。

  • 経済面:研究資金やベンチャー投資の規模が欧米に比べて小さい。

こうして複合的に、日本ではイノベーションが育ちにくい構造が続いています。


医師教育に足りない“リベラルアーツ”


もう一つ見逃せないのは、日本の医学教育に**リベラルアーツ(人文・社会科学、哲学、芸術など)**が極端に少ないことです。

解剖や生理などの専門科目ばかりを詰め込む一方で、哲学や歴史、芸術を学ぶ機会はごくわずかです。その結果、

  • 「人間の幸福とは何か」という問いを考える力が育たない

  • 医療制度や文化を相対化する視点が持てない

  • 患者の痛みや不安を“感性”で受け止める素養が養われない

こうした欠如が、挑戦や新しい発想を阻んでいるのです。海外の医師たちは、多様な学問背景を武器に新しい治療を創り出しています。その対比は鮮やかです。


実は日本社会全体の縮図


この「挑戦しにくさ」は医療だけでなく、日本社会全体の問題でもあります。大企業文化や役所体質、責任回避の空気が、新しい挑戦を阻んでいます。

つまり「手術一辺倒の手外科」は、日本社会の縮図なのです。


それでも可能性は残されている


希望がないわけではありません。海外の治療を導入している医師はすでに現れていますし、患者さんのニーズも確実に存在します。

さらに日本の強みは、導入した技術を几帳面さと安全性重視の姿勢で磨き上げられることです。もし医学教育にリベラルアーツを取り入れ、幅広い視野を持った医師を育てることができれば、日本発の治療が生まれる可能性は十分にあるのです。


まとめ:「固定観念を問い直すこと」から未来は始まる


「人工関節しかない」「関節固定しかない」という言葉は、確かに強力な治療の象徴です。しかし、それが唯一の道ではありません。

外の世界に学び、固定観念を疑うこと。そして幅広い教養を備えた医師を育てること。

そこから、日本の手外科、そして日本の医療の未来は必ず広がっていきます。「あなたの痛みには、まだ選択肢がある」――それを伝え続けたいと思います。

 
 
 

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