時間に試されて残るもの― カラヴァッジョと一本の時計から思ったこと ―
- 山田哲生

- 2 日前
- 読了時間: 2分

最近、久しぶりに「おっ」と思う腕時計を見た。
新品で買われてから長い年月を経ているらしいのに、
妙に生き生きとしていた。
別に欲しいわけではない。
ただ、美しいものに触れたときの、あの静かな高揚感。
それだけで十分だった。
仕事のことばかり考えていると、
こういう感覚は少し鈍りますね(笑)。
時間が価値を作るのではない
よく「長く残っているものは価値がある」と言います。
でも最近は逆に思います。
時間が価値を作るのではなく、
価値があるものだけが時間を生き延びる。
腕時計もそうです。
流行に合わせただけのものは消える。
しかし、本当に良い時計は修理され、受け継がれ、
持ち主の人生と一緒に歳を重ねていく。
それは単なる工業製品というより、
時間と共存する工芸品に近い存在だと思います。
カラヴァッジョという例外的な画家
この話をすると、必ず思い出す画家がいます。
カラヴァッジョです。
彼の絵は400年以上前のものですが、
古典というより、今でも妙に生々しい。
聖人を理想化せず、
暴力や死を隠さず、
人間の恐怖や欲望をそのまま描いた。
当時はかなり物議を醸しましたが、
結局、彼の作品は消えませんでした。
なぜか。
おそらく、
彼が「綺麗に見せること」より「真実を見せること」を選んだから
だと思います。
本物に共通する“覚悟”
時計と絵画。
分野は違っても、共通点があります。
流行に迎合しないこと。
修復されながら生き続けること。
そして何より、作り手の哲学が宿っていること。
私はこう考えています。
時間に残るものは、技巧ではなく覚悟を宿している。
カラヴァッジョもそう。
優れた時計職人もそう。
そして、おそらく仕事というものも同じでしょう。
所有しなくても豊かになれる
最近特に思うのですが、
美しいものは必ずしも所有しなくていい。
触れるだけでいい。
見るだけでいい。
それだけで感性は少し整う。
むしろ所有欲が強すぎると、
純粋な美意識から離れてしまうこともありますね(笑)。
私は、美しいものに囲まれていたいというより、
美しいものに触れながら生きていたい
そんな感覚です。
最後に
時計は時間を刻みます。
けれど、本当に価値のあるものは逆に、
時間そのものに刻まれていく。
カラヴァッジョの絵も、
長く使われた一本の時計も、
そして人の仕事や生き方も――
きっと同じなのだと思います。

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