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灯してりゃ報われるって、誰が決めたよ。

  • 執筆者の写真: 山田哲生
    山田哲生
  • 2 日前
  • 読了時間: 2分


「迷える患者の灯火であれ」今は亡き恩師が口にした、ひとつの言葉。

最初のころはそれを、「困ってる人がいたら全力で助ければいいんだ」とまっすぐに受け止めて、がむしゃらに治療していた。


でも最近、ようやくわかった。この言葉には、もっと奥行きがある。


灯火というのは、道しるべであって、その光を頼りに進むか、進まないかは、


患者自身の選択


に委ねられている。


こちらがいくら「こっちだよ」と照らしても、見て見ぬふりをする人もいれば、灯火が見えていても立ち止まったままの人もいる。

それに苛立っていたのは、「灯火のくせに勝手に期待していた」からだったんだ。


ふと思い出すのは、落語『死神』の話。

命の灯が消えかけてるのに、目先の欲や不安に振り回されて、「もっと、もっと」と足掻くばかり。

最後には──ろうそくの火がパチンと消えて終わる。

他人ごとに聞こえるかもしれないけど、医者としてあの噺を聴くと、ゾッとするほどリアルだ。


治せる手立てがあるのに、「いや、もう少し様子を見てから…」「保険が効かないならいいです…」

そんな声に、昔は腹を立てていた。


でも今は、決めるのはあくまで患者だと、腹をくくっている。

灯火が灯っていれば、いつかそれに気づく人もいるかもしれないし、気づかないまま人生を終える人もいる。


そこに無力感や虚しさはあっても、「灯す」という行為自体に意味があると、今は思っている。


そういえば『芝浜』の旦那も、どん底を味わった後に、ようやく目を覚ます。

「すぐには変われない」「今は届かない」──でも、灯火を見ていたから、戻れた。


そんな人間くさい遅れ方も、たぶん、あるんだ。


だから今日も、期待せずに、見返りも求めずに、ただ静かに灯しておく。


その小さな光が、誰かの帰り道になることを願って。





 
 
 

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