『親父の芝浜』
- 山田哲生
- 18 時間前
- 読了時間: 3分

本というのは、不思議なものですね。
書き手の思いや体験が、
時代を越えて誰かの心にすっと入り込んでくる。
先日、
ようやく手の痛みに関する小さな冊子を書き上げました。
実は、治療って、世間でよく知られているよりも
もっとたくさんの選択肢があるんです。
でも、その「選択肢がある」という事実そのものが、
意外と知られていない。
だからこそ、そんな“知られていない選択肢”を
せめて一冊のかたちにまとめておきたいと思い、
何度も校正を重ねて、ようやく印刷所に出すことができました。
そのとき、ふと感じたんです。
ああ、本って、やっぱり面白いなと。
自分で書いておいてなんですが、
「書く」という行為には、やはり魂が揺さぶられる何かがあります。
そして、不意に記憶がよみがえりました。
小学生の頃、推薦図書として
ある一冊の本が配られたんです。
でも当時の自分は、読書には一切興味がなく、
水泳と武道ばかりの毎日。
当然その本も、読むことなく放置するつもりでした。
ところが、普段は本なんて手に取らないはずの父が、
それを読んでひと言。
「てつぁ、これ面白いぞ。読んでみろ。」
今は亡き父は、気分が読めないところがあって、
突然怒鳴ったり物が飛んできたりもするような人でした。
そんな父に言われて、しぶしぶ本を開いた記憶があります。
物語は、孤児がのし上がって、最後に処刑されるという内容。
その最期の前夜、育ての親に髪を整えてもらうシーンがあって――
当時はその場面の意味がよく分からなかったけれど、
今思い返すと、胸の奥がじんわり温かくなるような、
そんな印象が残っています。
そして、もうひとつ思い出したのが落語『芝浜』。
飲んだくれの魚屋が、芝の浜で大金の入った財布を拾い、
浮かれて散財してしまう。
けれどそれは夢だったと気づき、
反省して真面目に働くようになる。
三年後、妻から真実を明かされる。
――「財布は夢じゃなかったの。でも、あなたが変わってくれたから言えなかった」
どちらの話にも共通していたのは、
“何かを失うことで、得られるものがある”ということ。
お金を失って、人としての誇りを取り戻した『芝浜』の男。
そして、処刑を前にした孤児が、髪を整えてもらうことで
自分という存在を取り戻したような読後感。
父はいつも、
「小説なんて役に立たない」
と口にしていましたが、なぜかあの本だけはすすめてきた。
もしかすると父自身も、
『芝浜』の男のように、
何かを失い、何かを得た経験があったのかもしれません。
――なぜこんな話になったのかって?
今、朝の3時。
ふと眠れなくて書き始めたからです(笑)
さて、そろそろNBAのカンファレンスファイナルを観る時間です(笑)。
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