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信用というのは、時間のかかった空気なのかもしれない

  • 執筆者の写真: 山田哲生
    山田哲生
  • 2月5日
  • 読了時間: 2分


僕の師匠は、江戸時代から代々医者を続けてきた家系の先生だ。この時点でまあ、普通じゃない笑。最初にその話を聞いたとき、「こういう世界って本当にあるんだな」と妙に納得したのを覚えている。

さらに印象的だったのは、その交友関係だった。テレビやドラマの中で見るような、いわゆる上流階級と呼ばれる人たちが、特別な存在としてではなく、ごく自然に周囲にいる。誇示するわけでもなく、それが日常という感じだ。

一緒に飲みに行っても医療の話になることはほとんどない。歴史の話、旅の話、文化や経済、人の機微の話。話題は自然に移ろっていく。知識をひけらかす空気もなく、それが当たり前という雰囲気がある。長い年月をかけて積み重ねられたものは、案外こういうところに滲むのだろうと思う。

一方で、自分はそういう家系とは真逆の環境から来た人間だ。家柄としての信用とか文化資本という意味では、うちも積み重なったものがあるが、お師匠のそれとはかなり違う笑。異質なり笑。ただ、それを引け目に感じているわけではない。むしろ、自分の歩いてきた背景もまた、自分なりの色として誇っている。

きれいに整った道ではない笑。その分、人の機微や現実の重さを早い段階で知ることができた。それが医療でも経営でも、人との距離感でも、意外と役に立っている気がする。

だからまあ、代々の信用というのは確かに大きな資産だと思う。お金ではまず測れないし、短期間で作れるものでもない。いわば時間そのものが形になったようなものだ。

ただ同時に、個人の人生の中でも別の形のクレジットはちゃんと積み上がる。約束を守ること、時間を守ること、言葉と行動を一致させること。地味だけど、そういう履歴は確実にその人の空気になる。

結局、信用というのは金融用語というより、生き方の記録に近いのかもしれない。家系の中で長く積み重なる場合もあれば、一代で静かに積み上がる場合もある。違いがあるとすれば、出発点だけなのだろう。

だから自分としては、追いつこうとか張り合おうとかはあまり思っていない。違いは違いとして理解した上で、自分は自分の積み上げ方を続けていく。それくらいの距離感が、いまはちょうどいい。

まあ、そのほうが人生、無理がない。努力もない笑。ただただ楽しい笑。

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